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天野太郎の建築展
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天野太郎没後20年にあたり、天野が後輩の指導と教鞭をとった東京藝術大学・大学美術館陳列館において、主要作品の設計原図、模型、図面、写真、資料等、約100点あまりの展示を行い、天野の目指した空間を辿ります。 <展示作品>
音羽の家(1955年)
新花屋敷ゴルフクラブ(1959)
武蔵嵐山カントリークラブ(1961)
親子の家(1962)
松原の家(黒澤明邸)(1961)
東京藝術大学附属図書館(1964)、同絵画棟(1968)、同彫刻棟(1971)
川口邸(1965)
増田邸(1974)他
●天野太郎(あまのたろう) プロフィール
建築家・天野太郎は1952年渡米し、タリアセンにおいて晩年のフランク・ロイド・ライトに直接師事した数少ない日本人の一人です。
ライトの「有機的建築」の思想をよく修めた天野は、帰国後「音羽の家」や「新花屋敷ゴルフクラブハウス」において、その体得した経験を実作として世に問い大きな反響を得ました。
その後、文部省海外研究員として中近東工科大学(トルコ)客員教授の任務をすませて欧州建築視察に向かった天野は、アルヴァ・アアルトの建築に接して新たな目を開かれました。
帰国後の「武蔵嵐山カントリークラブ」や「松原の家」(映画監督、黒澤明邸)等にこの影響が見られるようになります。
教育の場を工学院大学から東京藝術大学に移した天野は、この頃から主に住宅設計の中で、次第にライトでもアアルトでもない自身の有機的建築の追求を始めました。それらの成果が「十軒の家」その他の住宅にみられます。
また、東京藝術大学美術学部の諸建築は、ローコストとの格闘の中で、しかし空間は豊かで力強いものを、と必死に努力した結果の作品です。(藝大付属図書館・絵画棟・彫刻棟の3棟はDOCOMOMO JAPAN145選に登録されています。)
天野が求め続けてきたものは、そこに住む人の存在に重きを置く空間、人間の日々の生活感情を尊重しそこから発想する建築空間で、さらにその質としても優雅さ(grace)を具えたものでした。その空間は、時代を経た現在のわれわれにとっても依然魅力をもち続けています。
天野太郎 略歴
1918年(大正7年)広島県呉市生まれ
1942年 早稲田大学理工学部建築学科入学 文学部会津八一の講義を聴講
1945年 早稲田大学卒業、同年鹿島建設入社 同設計部顧問吉田鉄郎に接する
1949年 遠藤新建築創作所に出向
1952-53年 フランク・ロイド・ライト奨学金によりタリアセン・アプレンティス
1955年 工学院大学建築学科助教授
1959年 天野太郎研究室開設
1961年 中近東工科大学建築学科客員教授(トルコ・アンカラ)
1962年 東京藝術大学助教授
1964年 東京藝術大学教授
1967年 天野太郎研究室を天野吉原設計事務所に改称
1983年 東京藝術大学名誉教授
1990年(平成2年) 死去
参考資料
『有機的建築の発想』 建築資料研究社 2001年刊 建築ライブラリー10
『現代日本建築家全集13』 三一書房 1971年刊
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日時
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2010年
5
月
11
日
(火)
10:00
〜
17:00
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場所
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東京藝術大学 大学美術館陳列館2階
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費用
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無料
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主催
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「天野太郎の建築展」実行委員会
担当:芹澤設計事務所 芹澤(せりざわ)誠 (渉外担当)
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共催
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東京藝術大学美術学部建築科、工学院大学建築学科、工学院大学建築学科同窓会、匠美会(東京藝術大学建築科同窓会)、天野・吉原設計事務所OB会
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後援
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社)日本建築学会、社)日本建築家協会、社)日本建築士会連合会、NPO法人有機的建築アーカイブ
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申込
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http://sites.google.com/site/amanotarounokenchikuten/
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